教会建築♯4 目白聖公会

1929年に建てられた目白聖公会。
それ以前は、病院をリノベして礼拝堂にしていたそうです。
東京では唯一の戦前の聖公会の建物。
目白通り。商店が立ち並び、人の暮らしが息づく通りに、
当たり前のように建っています。これが目白のまち。
カウンセリングの授業が終わって前を通ると、
いつも扉が写真のように開いています。
入っていいよ、というサインかな。
 
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このところ、教会建築シリーズとなっている。
どの写真もかなり前に撮ったものだ。
ようやくブログを書く時間と気力が生まれてきたので、
この際、画像をアップしておこうかと思っている。
ささやかなメモ程度の「記録」のつもり。
歴史を重ねてきた建物が、いつ消えていくかもしれないので。
などと書いたら、現在使っておられるみなさんには失礼かとも思うが、
実際になくなるという意味だけではなく、私の記憶の中のことも含めて。

「いつか」ではだめだな、と最近思う。
思ったときに書いていく。思ったときに動いていく。日々を大切にしていく。
むやみに人を巻き込んだり、自分が疲れ果ててまで、などとは言わないけれど、
気持ちはいつでも身軽であり続けたいとの願いを込めて。

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聖公会から始まった大学が母校だったので、
「聖公会」と聞くと、気持ちの上ではなじみがある。
けれども、大学時代には、教会にも聖書にも見向きもしない人で、
チャペルは結婚式をするくらいの場所にしか考えていなかった。
今から思うと、学生向けに毎日礼拝が開かれていたのに、
もったいないことをしたと思う。

ただ、聖公会は、カトリック的な要素が多分にあり、
私たちの礼拝とは様子が少し違うので、多少の偏見を持っていた。
儀式だとか、聖職者の服装だとか、大仰さが目についてしまう。
でも、これは、たまたま大学で体験したのがそうだったということで、
それをすべだと思ってはいけないな、と最近は見方を変えている。
外の人間が、
礼拝の形式をその歴史や事情も知らないでうんぬん言うのは、失礼だから。
礼拝も時代とともに変わっていい部分は変わっていく。

昨年のクリスマスに、神田にある聖公会の礼拝に出席させていただいた。
よく練られたプログラム、鍛錬された奏楽、
そしてルパン三世のアニメ「カリオストロの城」に登場するような、
金ビカの被り物をはじめとして、
聖職者たちの服装、道具など、特別な感じを醸し出しているところなど、
視覚的にも聴覚的にも、そのドラマチックで荘厳なすべてに感嘆と敬服。
ひとつひとつに意味があり、十分に準備された中で、
パーツが組み合わさっている。
とは言え、自分の夫があれを身につけたらと想像すると、
それはやめてよね、と言いたくなるのだけれど。
説教も、聖書の本質から情熱的に語ってくださった。
礼拝で、聖書、みことばがそのまま、神さまの情熱と共に語られる。
この当たり前のことが、何よりも大切だとつくづく思う。

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美しいステンドグラスは、英国の修道院から寄贈されたらしい。
もちろん美しい。100年以上も前のものだという。
でも、私はこういう木造の時間の流れをリアルに感じるものに惹かれる。
へそ曲がりかな。

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木造とステンドグラス。長い時間を経た建築。
五島列島で訪ねた教会に雰囲気が似ているような。
この日、少しお祈りを捧げてから、ふたたび目白駅に向かった。
ふだんの暮らしの、ふだんの教会。
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by puppy_Benji | 2016-04-22 11:38 | 建築