さよならと言ったけど、いつも犬はともにいる

d0366488_23050638.jpg
牧師館のリビングにあるメルコーナー。夫が描いたメルが、いつもこちらをじっと見ています。朝、大好きだった大きな黒い鼻頭を指先でちょん。



へんてこなタイトルは、何ごとかと言うと。
メルがいなくなってからも、ときどき荒川河川敷まで同じ散歩コースを歩く。
毎日歩いていた習慣がなくなり、運動不足が怖いという現実的な理由がひとつ。

もうひとつは、いつものコースを歩くと、
メルといっしょに歩いている気持ちになれるからだ。
ひょんひょん跳ねる耳だとか、ふんふん地面をかぐ仕草だとか、
心のなかに映像や匂いがリアルに立ち上る。
ともにいる。この感覚が嬉しくて、空いた時間を見つけては歩いてしまう。

メルを失って発見したのは、
見えない相手とともにいるという感覚を、
自分は当たり前みたいに持っているということだ。
アンを手本に、趣味は「空想」などとすましていた子ども時代の名残?
 いえ、キリスト者であるゆえかもと思いいたる。
というのも、イエスさまとともにあることを常に意識しているわけで、
ふだんから訓練を積んでいるようなものだから。

悲しいとか、切ない、とかではなく、この疑似散歩は、やっぱり嬉しい、なのだ。
メルとは十分に楽しい時間を過ごし、
ボーダーコリーの大変さも、途中からしつける難しさも嫌というほど味わった。
だから、発病からたった2週間で見送ったとは言え、
悔いなし、という気持ちが強い。
もちろん、悲しむことも、ぞんぶんにした。
親しい人たちとは、メルの話をたくさん分かち合った。
おかげで、私のこころは健康だ。

でも、先日、意外なことを知った。
教会でよく犬の話を一緒にしていた人が、
なるべく今は犬の話をしないように、私の前で気を遣っていたとわかったのだ。

あらま。そうなんだ。

でも、犬の話をしてくれた方が、自然だし、楽しいんですよ。
と言ってみたものの、理解してもらえたかな ? 
だけど、話すということの感受性は、人によってそれぞれだから、
話すことを相手に無理強いしてはいけないな。

前回のブログで紹介したバーネットの『白い人びと』を読むと、
この作家も、見えないものを見るたぐいの人のようだ。
ガーデニングも、見えないものを見るプロセスとも言えようか。
芽を出し、葉をつけ、花開き、実を結ぶ。
この一連の見えない庭を心に描いては、地面に鼻先をつけて作業に精を出す。

犬や猫を飼うと、心に新しいポケットができるわよ、
と私に教えてくれたのは料理研究家の小林カツ代さんだった。
そのことばの意味が本当にわかったのは、じつはつい最近のことだ。
メルを失ってみて、心にメルの住んでいるポケットができたのを知った。
なるほど、こういうことかな。
真意を確かめようにも、カツ代さんも、今は別の場所におられる。

たくさんの出会い、たくさんのポケット。
これが人生かも、などと思ってみる。
雨のせいですね。こういうことを書きたくなるのって。


メルの病気がわかった週に、小学校の図書の時間に見つけて、不覚にも授業中に涙ぐんでしまった本。子どもたちには気付かれなかったかな ? 今回、絵本にはずいぶん助けられましたが、この本は、いちばん気持ちに沿った本。


じつはこの本も、死別を扱っています。中村妙子さんの翻訳と、みすず書房のそっけない装丁が好きなので、こらちを選びましたが、もっと素敵な新装版も出ています。本棚に置いておきたい一冊です。『秘密の花園』よりも好きかな。
[PR]
by puppy_Benji | 2015-09-09 22:29 |